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グルジア
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出発した前、Nasiからカズベギで宿泊所の住所とそこへの歩き方を説明してくれた。一泊は行くになるかと聞くと、彼女は ただ「安いですよ」と言った。そしてその宿泊所の家族に宛てた手紙をもらった。そして彼女に別れを告げた。 トビリシでの滞在は本当にいい体験になったのはだいたいNasiとその家族のおかげであったと言える。続いて地下鉄で 4番目の駅のディドゥベというバス・ターミナルへ行った。地下鉄にも、色々な安ぴかものを売っている貧しそう子供が 行ったり来たりした。 地下鉄はディドゥベの前に地面に出て、その列車からバス・ターミナルの大きさが見える。すごく大きくて混乱している場所だ。 乗合タクシーと普通のタクシーやバスなどの乗り物と無数の店がまぜこぜにして、市場とバス・ターミナルが一緒になったところだ。 そのため、人もすごく大きくて治安が悪そうな場所だ。 ロシア行きバスとマルシュルトカ以外には、目的地はいつもグルジアの文字だけで書いてあるので、カズベギ行きマルシュルトカ を探すのはかなり時間がかかった。やっとみつけたとき、もう午前10時だったが、席がまだ沢山空いていた。 そのため、満席になるまで待って、出発するまでに1時間ぐらい待っていた。 ![]()
その大きなセンターを通過した後、左側にはただ何でもないところに置いてある変なパノラマという大きなコンクリートの 建築物が見える。中には、大きなグルジアの歴史を表す絵などが見える。しかも屋根などがない。その後、ジュヴァリ峠という 標高の約2400メートルでこのグルジア軍用道路の一番高い地点を超える。そこには空気が涼しくて、雲が山を触るから素晴らしい 眺めだ。峠を超えた後、道路はずっと谷の底に下がり、岩滑が多いので道路はよく屋根に覆われている。だが、そのコンクリートの屋根 はすごくぼろぼろして、その予防措置か岩滑かどちらが乗り物にとって危ないのはわからない。 ![]() バスを降りた後、バス停の傍にある川を超えて、ゲルゲティ村方面へ歩いた。まずNasiから教えてくれた宿泊所を 探そうとした。しかもその村は小さいのですぐみつけた。ある二階の建物にはVanoと彼の家族が住んでいる。入ったとき、 彼はすぐ歩いてきて、私達を英語で迎えた。若い人ですごい優しそうだ。私は最初に彼の英語をあまり分からなくて彼の英語は 悪いと思ったけど、それはただ言語欠陥のせいだと気づいた。それ以外は、彼は英語がすごいうまくて、ちょっと彼の話を聞くとすぐ 言語欠陥に慣れる。彼の妹(!?)とお母さんにも迎えられ、皆が私達は家族のメンバーで、長い旅から帰した人だという感情を与えて 本当にすごい優しい人だった。私達以外、ニュージーランドや日本などから来たバックパッカーがいた。 他の旅行者は皆が寝袋を持ってきた。しまった。やっぱり山地のほうを旅行するとき、寝袋を持ってきたほうがいいが、 私達は二日間しかカフカスにいなく、トルコやアルメニア・グルジアの都市には寝袋が不要だ。荷物を置いた後、 Vanoに一階にある大きな食堂みたいな部屋をみせてくれた。中には、壁にかけているスタリンの画像が目立つ。隣には、 台所がある。中々ユース・ホステルみたいな設備だ。優しい母親が来て、お腹が空いたかどうかと訊いた。肯定すると 実質のあるスープとパンをもらった。母はまず私の前に皿を置いた。私は皿を隣に座っている自分の彼女に渡した。 そうすると、母は急に騒いだ。彼女の手から皿を取ってまた私の前に置いた。そして私達に「グルジアでは必ず男が 始めて料理をもらうんですよ!男性優先ですよ!」と説明した。 かなり美味しいスープを食べた後、もう遅かったからさっそく出発した。ゲルゲティの手前にある標高差400メートルの 山頂には、サメバ教会という名所がある。教会の外見ばかりではなくて中も見たい人はまず村に住んでいる ゲンリ・ツチクラウリ師から教会の鍵を取ってくることが必要だ。村の上部に住んで、少し探した後に彼の家をみつけた。 しかし、彼は隣人によって村の下部に行ってしまった。時間が少ないので、仕方なく鍵なしで教会へ登ろうとした。 小さな畑を横断して、森林に入ってジグザグに進んで山を登る。雨が降りそうから最後のほうに近道をして藪が多い森で 坂がきつい小道を登った。森から出るとなだらかな丘陵に着いた。その丘は花が多い芝に覆われて、ちょっと歩くと上から 谷とそこにあるゲルゲティ・カズベギ村が見える。息もつけないほどの綺麗な眺めだ。下には所々で白雲が浮かんで、 谷の反対側の山脈がよく見える。しかし、後ろにあるカズベク山があるはず方面には、 暗い雨を孕んだ雲の壁が立った。 ![]() ゲルゲティ村は曲がり角の多いところで、車で入れない。汚い農家は傾きはひどい。その村には、20世紀が 届かなかったという感じがする。色々な農家は完全に壊れて、もしかすると都市へ移動した家族の家だった。 どこにも鶏や牛、豚、馬、犬、猫などがいる。あちこちに子供が遊んでいる。村の隣にある小川の水は清そうが、ちゃんと 見ると油が出る機械などのゴミが入っていて絶対飲まないほうがいい水だとわかった。田舎のほうにも、やっぱり環境は 大事にされているものではない。村を横断するとき、よく住民に睨まれた。だが、じっと見られる私達はちょっと頷いて 挨拶すると、いつも相手の顔が晴れやかになって笑顔で挨拶してくれた。最初は変な感じだったが、やっぱりここは 礼儀が何よりも大切だ。皆は優しいから、その村の人の生活に侵入してしまう感じがなくなった。
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