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トルコ共和国 |
国土面積 人口 首都 宗教 世界に於ける地位(国民総生産) |
約78万 km2 約6500万人 アンカラ 99%以上イスラム教(半分以上はスンナ派) 61位 (1993の統計) |
政治 | ||||||||
現在のトルコは1923年にケマル・アタテュルク(下のお札に見える)の治下に成立された。
トルコの領域はその前にオスマン帝国と呼ばれた。アタテュルクという名前は愛称で、その意味は「トルコの父」だ。
アタテュルクはトルコで相変わらず熱烈に賛美されている。彼はトルコ人を戦争で統一して、宗教と国家を
別れてトルコの世俗化を推進した。その他、1938年にみまかったアタテュルクはローマ字や名字などを導入して、
男女同権を促進した。
トルコは共和国になったのは1982だった。現在にも、宗教と国家は厳しく分離されている。反対運動は強過ぎになると、 結局トルコの有力の軍隊はその原理を守って断固たる処置を取る。それは政治的な政策を含む。現在のトルコは 欧州共同体のメンバーになることを努力し、その為に2002年に憲法を変更した。その変更の一つは死刑の廃止だ。 今でも、トルコの政治は刑務所などに於ける人権蹂躙のためにさらし者になる。様々な非政府組織などによると、トルコには 反対派の人に対しても又はクルド人やアレヴィー派などの少数派に対しても時々抑圧手段がとられている。 外交上の状況を見ると、論議をよぶテーマが多い。一つは、キプロスという地中海にある大きな島の問題だ。 キプロスは独立の国家であったが、ギリシアとトルコはその島を要求して、同時に侵略してキプロスを分けた。 そのため、昔からあったトルコとギリシアの間の政治的な緊張が強くなってきた。両国ともは北大西洋条約機構 のメンバーだという事実はその緊張をある程度まで弱めると思う。ブルガリアとトルコの関係もやや悪い。 特にアルメニアという東にある隣国との関係は非常に難しい。1915年頃、ケマル・アタテュルクの 軍隊はトルコで約150万人のアルメニア人を殺戮した。それは20世紀の一番最初のジェノサイドであった。 だが、トルコはまだまだその事件を白状しない。白状する場合には、両国の関係に大規模な影響を与えるだろう。 1990年代にあったアルメニアとアゼルバイジャンの間の戦争のとき、トルコはアゼルバイジャンを応援した。 アゼルバイジャンとトルコの間には、昔から切っても切れない関係があるという理由だ (それは両国の言語も含む)。その応援は軍事援助を含まなかったが、トルコはさっさとアルメニアへの天然ガス・水・商品・ 電力などの供給を遮断した。 当然ながらアルメニアとトルコの間の国境は相変わらず閉鎖されている。クルド民族の独立運動に対しても、 トルコの軍隊は激しく反応してよく国境を超えて北イラクで作戦行動をする。だが、北イラクには無法状況があるので その国境侵犯に抗議する人がいない。但し、その状況はごく最近大変に改善したと言える。クルド語は クルド民族の地域の学校などで許可され、トルコの政治はクルドの独立運動との相談を開始した。
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言語 | ||||||||
トルコの言語は、当たり前、トルコ語だ。そのトルコ語はトルコ言語類型の一つで、またトルコ言語類型は
ウラル・アルタイ語族のうちだ。要するに、トルコ語の言語構造はフィンランド語・
→ハンガリー語・
→韓国語・日本語など
にある程度まで似ている。トルコでは、ローマ字が使われているが、特殊文字もある。その一つに、上に点がないの[i]
() だ。
発音は、弱くてか細い「ウ」に似ている。その差はかなり大切であり、大文字にも点がないと点のある
「・I」があるので、
間違えやすい。他には、
「 」
という文字がある。その文字は発音されてないが、前の母音はよく伸ばされている。もう一つは
「 」と言う文字だ。
音は「チ」に似ていて、
「ay」は「チャイ」
(紅茶)という発音がある。ドイツ語にもある「ウ・ウムラウト」と「オ・ウムラウト」いわゆる二つの点がついている
母音
「」
もある。要するに
「」という
東トルコにある町の発音は「ウードゥル」で、思った以上に全然違うだろう。 特にトルコには、少しだけトルコで話してみると相手はものすごく喜んでくれるというルールは有効だ。 「ありがとう」と「すみません」、「こんにちわ」と「元気ですか」などをトルコ語で言う、すぐ トルコ人と仲良くなることができる。特にイスタンブールなどの観光客が多い場所には、 日本語でうまく話せる人がよくいるが、その人たちはほとんどいつも客引きなのだので気をつけたほうがいい。しかも、 答えないとその人たちはかなりあつかましくなる。 それ以外は、英語できる人もいるが、それより普及しているのはドイツ語だ。 |
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自然 & 気候 | ||||||||
国土面積を見ると、トルコは日本より二倍ぐらい大きい。だが、人口は日本の人口の半分だけだ。 しかも、トルコは多彩の景色の国だ。シリア・イラクの国境に近い地域はほとんど砂漠で、 国の真中、そして特に東トルコのアナトリアには高い山ばかりのある素晴らしい景色がある。 そのうち、標高は5000メートルを超えるアララット山や2000メートルの標高にある高原などがある。 一つの高原は、エルズルムの地方にあり、夏は暑くなるが冬には気温はマイナス40度になる ことが多い。そこから数十キロ北の方へ行くと、寒さ知らず黒海海岸がある。降水量が高い黒海の海岸には、 常緑の雨林があり、茶やタバコなどは成果の豊かに栽培されている。 地中海のほうは、晴れる日のほうが多く、夏はかなり暑くて冬は寒くない。イスタンブールとヨーロッパの トルコは、比較的に温和な気候だ。国全体は何の季節でも美しく見えると思うが、真冬にアナトリアの高原と山地へ行くと、 沢山の洋服を持っていったほうがいい。そして夏に気温が50度を達する日もある南東トルコの Diyarbakr (ディヤルバクル)市の地方へ行くのは様々な人にとって大変でしょ。 | ||||||||
旅行の情報 | ||||||||
ほとんど全てのヨーロッパ人も日本人もビザが不要だ。ただ入国するときから少なくとも半年の有効期間のある
パスポートは充分だ。空港での入国は一番簡単だ。ブルガリアから入るときも、問題があまりない。グルジアから
入ると、3ドルの手続き料金が必要だ。それに加えて、健康診断ある。健康診断というのは、特別な部屋には偉そうな
人が座って、パスポートにすごく大きいスタンプを押すということだ。結局税関の人もスタンプを押して、
そのスタンプに書いてある文章の内容は全く分からない癖に自分のパスポートをサインしなければならない
トルコの通貨はトルコ・リラ(TL)だ。インフレはとても激しい。1995年トルコに行ったとき、 1ユーロは5.5万リラであったが、2002年には1ユーロは160万であった。日本円で言うと、2002年の夏には 1円は1万5千リラだ。だが、インフレのせいで値段がよく変わるので、このページに書いてあるトルコの値段は全て 日本円で書いてある。現在の一番大きい札は2000万リラの札で、それ以外は他の札も10万リラなどのコインもある。 現金自動支払機はどこにもあり、マエストロやシルッス、そして普通のクレジット・カードはどこでも無難に使える。 お金を下ろすときには、金額の桁を数えるのは難しい。ドルとユーロは特に地中海とイスタンブールなどの観光客が多い 地方にもよくホテルやお土産の店、レストランなどで使える。両替する銀行と店も多い。 トルコは、特に個人旅行をする人にとって非常に安い国だと言える。宿泊所がどこにも あり、イスタンブールの中心でさえ1000円で泊まれる。田舎のほうは、半額で泊まることは 全然珍しくない。交通機関もものすごく安くてかなり便利だ。この旅には、私たちはトルコで3200キロぐらい バスや列車、船で行ったが、3200キロの交通費は5800円ぐらいだけであった。要するに、100キロは約180円しか かからない。食べ物と飲み物などを含む生活費は同じように安い。唯一の中々に高いことは、イスタンブールの 名所の入場料金だ。だが、だいたい学割があるので、大学生はそこでお金を貯金できる。旅行者として ほとんど毎日移動して、普通に安いホテルに泊まって、たまに夜に出かける人はトルコで一日中3000円 ぐらいでかなりいい生活をすることができる。 トルコ人たちはだいたい客を手厚くもてなして、優しい。私は1995年トルクに行ったとき、あるタクシーの運転手は 私を自分の家に招待して、二泊泊めた。英語もドイツ語も全然話せない癖に、 相手が私の辞書を調べて、ドイツ語で「家!」、そして「招待する!」と言った。 夜に彼と一緒に夕食を食べて酒を飲んで、ほろ酔った彼は夜3時ぐらいからタクシーで旧市街を案内した。 その旧市街の案内などを払いたかったが、許されなかった。全般的に言うと、トルコは個人旅行をする人にとって 天国だ。唯一の邪魔なことは、田舎のほうに必ず追い回す「Hello!」と何回も叫ぶ子供たちだ。 「名前は何ですか」などの英語会話練習するみたいな子供たちは最初はかわいいかもしれないが、一時間に 100人以上のそういう子供たちに会ったらしつこくなる。何とも言いがたい。そして、イスタンブールなどの観光地には、 客引きが多くてしつこくなる可能性もある。だが、トルコの客引きを追い払うのは絶対エジプトより簡単だと自分で感じた。 トルコの鉄道網は粗くて、イスタンブールとアンカラの間の特急以外には列車は遅い。しかし、列車はバスより 安くて乗りやすい。例えば一番東にあるカルス市からイスタンブールまで列車で行くのはとても楽だ (参照:第13日)。それ以外は、バスは大切だ。大きな町の間に、一日中何本も出発して、 バスはだいたいが近代的かつ早い。遠距離バスは2時間・3時間に一回止まるので問題がない。しかも、バスの中には 面白いトルコ人に会う可能性が高い。だが、バスの中では靴を脱ぐのは残念ながら許されていない。 遠距離バスはよく大きな休憩場で止まる。そこには、食堂があるが、その食堂の料理はだいたいまずくて比較的に 高い。 中々いいものはドルムシュという乗合タクシーだ。そういうミニバスは市内で決まっているルートを走る以外に郊外も 小さな町も結ぶ。タクシーより安くて、速さも利点だ。当然ながら、ドルムシュは普通のバスより少し高い。 しかも、その決まっているルートの途中でどこでも乗っても降りても平気だ。だが、普通のドルムシュは 満席にならないと出発しない。それは田舎のほうでかなり時間がかかるものだ。 |
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