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今日はまた8時ぐらい出発したが、そんなに早く起きる必要性がないと後でわかった。全ての喫茶店や
レストランはまだ開いてなかったので、直接駅へ進んだ。駅の前にあるバス・ターミナルで国境まで走る
バスについて聞いてみたが、なさそうだった。それに加えて、マルシュルトカもその辺まで運転しない。
窓口の人によって、砦の下にある二番目のバス・ターミナルからマルシュルトカがあるかもしれない。
だが、そのターミナルではバスが一台もなかった。その代わりに、西瓜で縁までいっぱいになった古いロシア製の
ラーダという車がたくさんあった。西瓜は入りすぎて、夜に運転するときにヘッドライトは必ず月に光を当てると
思った。
色々な人に聞いてみたが、国境まで走る乗り物が本当にないとわかった。しょうがなくてタクシーの運転手に聞いてみた。
最初に聞いた人はすぐ「10ドル」と言った。まず断った私たちはお土産を探した。観光客がほとんどいないアハルツィへ
には、土産を探すのは難しい。結局グルジア製のウオッカにした。一番高いボトルを選んだが、それでも
3ラリ(200円以下)だけになった。
他の選択肢がないので、他のタクシー・ドライバーに聞いて、20ラリ(というのは10ドル)になると言われた。
ちょっと値切ると15ラリになった。途中で、運転手と色々なことについて話した。彼の右手には二つの指しか残らなくて、
元々アルメニア人だった。アルメニアも旅行したと聞いたとき、彼はすごく嬉しそうだった。
トルコ側には、沢山の建物があるので迷いやすい。警備員は一番小さい建物を指差して、そこへ行きなさいと言った。だが、 その建物ではサインも人もなかった。その代わりに、優しいトルコ人が近づいてきて紅茶を奢った。
パスポート・コントロールの後は健康診断だ。それはブルガリアとトルコの間の国境にもあるが、空港ではそういうことがない。 しかもやり方はどこでも同じらしい。えらそうな男性はデスクの後ろに座って、「体調はいかがでしょうか?」と聞いて、 「元気です」と答えると終わりだ。そうするとパスポートに非常に大きいスタンプを押してくれた。入国手続は それで終わったと思ったので、最後の門へ行ったが、そこにいる警備兵はパスポートを見て、「まず税関へ行きなさい」と 言った。税関検査官はパスポートにまたスタンプを押して、そのスタンプには何が書いてあるのが全くわからないけれども、 彼の指令に従ってスタンプの下に自分のパスポートをサインした。微妙な入国手続であった。 国境通過点の前、タクシーが待っていたが、次の村まで歩いて、そこからバスまたはヒッチハイクで行こうとした。次の村は すごく近いが、小さすぎてバス停がないと気づいたので、また歩いた。途中で銃を持って歩く偵察班に会った。国境に近いし、 クルド民族とたまに問題が起こる地方だからちょっとやばいかもしれないと思ったが、班長はただ驚いた顔で挨拶した。ずっと 歩いても車は一台も来ない。風景はとても綺麗だが、そういうふうに全く進まないと心配した。 一時間以上歩いた後、やっと二つの車が国境の方面から近づいてきた。一番目は、国境で知り合ったお金持ちのグルジア人の くろいベンツだった。しかも彼が止まった。次のポソフという小町まで乗せてくれるかと聞いて、「いいですよ」と言われた。 次の通過した村には、軍隊のチェックポイントがあった。そこの警備兵は車に乗る人たちのパスポートを見て、グルジア・日本・ ドイツという国籍の珍しい組合せについてかなり驚いた。ポソフは国境から思ったより遠い。しかし、運転手は町を通過しなくて 町の前にアルダハン行き道路に曲がると言われた。そうすると私は地図を見て、アルダハンは私たちが行きたい方面だと気づいたので、 そこまで一緒に行けるかどうかと聞いた。大丈夫だった。前に見た二番目の車は小さいトラックで、ずっと付いていった。 同じ会社の車で、トラックはベンツより遅くて、かなり年をとった運転手はベンツでできるだけ速く運転することが好きらしいので、 私たちは時々止まってトラックを待った。ポソフの後、道路はジグザグ道になってずっと山を登っている。道路の質はとても よくて運転が上手なおじいさんはレースする感じがしたので楽しかった。標高が2500メートルぐらいのイルガル・ゲシディ峠 (参照:右側の写真)に着いたとき、またトラックを待った。そこからは東アナトリアの山地への素晴らしい眺めがあるので、 トラックを待っていたのはありがたかった 短い休憩の後、私たちはまた100キロ以上の速度で運転を続いた。途中で、沢山の草に覆われている小さい建物から作った 村を見た。そういう村は、遊牧民が作った村だというイメージである。貧乏らしいが、どんな家でも衛星受信アンテナがついている! アルダハン市はポソフから60キロぐらい離れている。だが、アルダハンは国道から少し離れて、そのグルジア人の目的地ではなかった。 そのため、「実はアルダハンという町に入らなくて、カルスという町まで行く」と言われた。私たちはこの日にエルズルムという 大都市まで行きたかった。アルダハンは小さいので、そこからエルズルムまで簡単に行けるかなという疑いは湧いた。カルスは それより大きくて、列車もあるからカルスまでその車に乗ろうとした。途中で、お金持ちのグルジア人と話した。彼は 建築会社の会長で、トルコに材料を取りに来た。国境で3ドルの料金を払ったとき、私たちはグルジアのお金がまだ残っていると 彼が聞いたので、もし要らなかったら両替してくれると言われた。小さい国なので、確かにグルジア以外にグルジアの貨幣を両替する のは難しい。100ラリが残っていたが、アハルツィへでも国境でも銀行がなかったのでまだ持っていた。 降りる前、彼はまたそれを言って、私は「if you want」と答えた。あまりよくない言い方だと後で気づいた。 会長はそうすると「私は構わないよ。ただ君たちを助けたかった」と答えた。私たちが狙ったカルスのバス・ターミナルが郊外 にあるけれども、運転手はターミナルを通り過ぎて市内まで進んだ。 だが、10分以上トラックを待っているも来なかった。しょうがなくてバス・ターミナルへ戻った。そしてそこで降りれた。 トラックが来なかったので、会長の気分はすごく悪くなってきた。それにもかかわらず、結局残った100ラリを両替してくれた。 その代わりに45ドルをもらったというのは本当にフェアだった。降りた後、心から感謝してターミナルに入った。
しょうがないからカルスの市内に行った。翌日、エルズルムから列車でイスタンブールまで行く予定だった。 その列車の始点はカルスだ。そのため、カルスに泊まって次の日から列車に乗ることにした。 要するに、切符を買う為に真直ぐバス停からちょっと離れている駅まで歩いた。途中でずっと 子供たちが付いていって「Hello Mister!」とか、「What's your name?」などを叫んだ。それは最初に いいかもしれないが、段々本当にしつこくなる。しかも、色々な子供は「Money! Money!」ということも 叫んだ。駅に着いたのは午後5時5分だったが、窓口は5時までしか開いてないと気づいた。 それにもかかわらず切符が買えるかなと望んでいた。ぽかんとしている迷ったそうな顔をして窓口の前に 待つと、優しいおじいさんが歩いてきた。そして本当に私たちのために窓口を開けた。 流石トルコだ!彼はドイツ語も英語もできなく、私たちはガイドブックを使って片言のトルコ語しかできないが、 窓口のおじいさんはすごく我慢して頼んだ切符を売った。出発時間は朝7時10分で、距離は2000キロだ。 所要時間は39時間だ! 疲れていたが、トルコをうまく入国して切符が買えたので、落ち着いてホテルを探しに行った。 市内に戻る途中で、様々なトルコ人にアニというアルメニアの国境に近い 廃墟が豊かなところへツアーをしないかどうかと聞かれた。アニはアルメニアの町だったので、 アルメニアの教会の跡が多い。確かに面白そうなところだが、残念ながらそこまで行く時間がない。 この前アルメニアを旅行したことに慰めを見出した。 ホテルを見つけた後、カルスの都心を観光した。どこでも工事現場があって、発達中の町だとわかった。 数年後カルスに行ったら、素晴らしい都市が見えると思う。 噴水などがある歩行者天国では、「Pastane」というレストランがる。「パスタね!」と思ってしまって、 久しぶりにパスタが食べると喜んでいて入ってみた。当然ながら、パスタがなかった。 その代わりに、生地に包まれている焼いた羊肉、そして辛いソースや生ヨーグルトなどの本当においしい トルコ料理があった。ただそこに売っているピデというトルコ風のピザはお勧めではない。 それ以外は、「パスタネ」は必ずお勧めだ。 長い一日だった。しかも、次の日は6時前起きることが必要だ。 |
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カルスの中心には、色々なホテルがある。私たちが選んだのは、ホテル・テメル
(Temel)というところだ。入り口は横町にあるので、ちょっと入りにくい。
そのホテルは再建されたばかりで、部屋とバスはものすごく清潔かつ綺麗だ。それ以外の設備も
綺麗だ。しかし、当然ながら値段はやや高い。朝食付きのダブルは3500万リラ(約2600円)になる。
ホテルはいい場所だから相応しい値段だ。朝ご飯はおいしいかどうかわからない…7時から始まり、
列車が7時10分出発したので食べられなかった。
住所:Kazιmpasha Cad. No. 4/A. пF(0474)223 1376。 |
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