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トルコ
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イスタンブールから黒海の海岸までのボスポラス海峡沿いの風景はどんな感じだろうか
というのは本日のターゲットであった。そのため、起きた後に直接エミノニュの桟橋へ
行った。そこから、ボスポラス海峡を遡って黒海に近いアナドル・カヴァウ
(Anadolu Kavagι)行きフェリーがある。そのフェリーは、一日中4回
出発する。ボスポラス海峡沿いには、見所が多い。昔から、このイスタンブールの金持ちの人と
強力のある人は海岸沿いの風景を高く評価して立派なお城や華麗な別荘などを造った。
要するに、現在にも古い家と新しく造った家もボスポラス海峡沿いに並んでいる。そのうち、
ルメリ・ヒサル(Rumeli Hisarι)というスルタン・メフメット2世が建築した要塞がある。
昔話によって、この要塞は1453年に勃発した
コンスタンティノープル戦争のときにただ4ヶ月間の間に備えられたものだ
と言われている。
バザールは屋根の覆われて、正門がちゃんとある。だが、着いたときにがっかりした。日曜日なので、 バザールは開いていない。イスタンブールのバザールは観光客が多いので、やや高いが本当に見応えのある ところだと1995年に行ったときに思った休日なのでしょうがなくて、バザールを一周して門の前にある店に 入ってみた。その一つの土産の店の店長はとてもいい人だった。すぐ面白い話になったが、 私たちは何かを買いたいかどうかということに全く興味がなかった。それはおかしかった。 彼の店の中でお茶を飲みながら、ロシアのすごいお金持ちらしいカップルが入ってきた。そのカップルは 沢山の土産を選んで、店長はすごい金額を徴収した。全部を高すぎる値段で売った。私たちのほうに向けて 「お金持ちだからいいじゃん!」と言った。確かに商売がうまい人だ。
夕方になると、絨毯の店に入ってしまった。そこで、キリムというトルコ風のデザインが面白い絨毯みたいな ものが目立った。化学繊維から造ったものなので、あまり上品ではないと言える。だが、トルコで絨毯を 買うのは中々難しくて、ぼられる可能性はとても高い。絨毯を買うときには、何が大切だということを わからなかったら大変だ。糸の質や、造りかた、そして色などに気をつけないと値段がわからなくなって 高すぎる値段を払うのは避けない。選択肢も多いし、当然ながら絨毯を売る人は弁舌さわやかなので 絨毯を買うのはやや苦しい。結局1畳以上のキリムを選んで70ユーロ(約8000円)で買ったが、 それはいい値段かどうかというのは相変わらずわからない。 夜には、スルタンアフメットというモスクの辺を歩いて、道路からレストランのステージの上に踊っている メヴラーナ(英語で"whirling derwishes"と呼ばれている)という舞踊の演奏が見えた。白いカフタン (中近東の丈と袖の長いゆったりした衣服)で赤いフェスというトルコ帽を被っている男の人は ただぐるぐる回っているという舞踊だ。数分後を回っても倒れず、そして吐かず続いているのは 確かにすごいが、本当を言うと、私にとっては このメヴラーナ舞踊は今まで体験した舞踊のうち、一番つまらなくて意味がわからない舞踊だった。 多分ただ観光客のために作ったギャグだ。 残念ながら、本日はこの短すぎる旅行の最後の日だった。旧ソ連の南カフカスとトルコと言う全然違う 二つの世界を一周して、行った地域と都市は全てお勧めだという結論を出したい。 |
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