町の姿:
ヘプの人口は3万2千人だけだ。中心は殺風景なコンクリートだらけの住宅地に囲まれている。
旧市街には、ドイツに与えられた影響は明瞭だ。旧市街の真中は非常に長い
náměstí krále Jiřího z Poděbrad
(ポデブラド城のゲオルク王広場)、そして Chebský hrad (ヘプ城)という名所がある。
お城の後ろには、深い谷の中にオージェ川が流れている。中心には全部で四軒の教会が町を聳えている。
二つは上述の中央広場の裏側にあり、他の二つの教会はその広場の南方にある。
特にその四つの教会の塔はヘプの相貌を作り上げている。所々には昔のヘプの外壁の址が残されている。.
ヘプの醜い Cheb nádraží (中央駅)は中心から少しだけ
離れているが、簡単に歩ける距離だ。中央駅からずっと北へ
třída Svobody (自由通り)という店が並んでいるあまりきれいではない
歩行者専用通りを辿ると、直接中央広場へ行ける。それは徒歩で10分ぐらいかかる。バス・ターミナルは
駅に接する。
ヘプはドイツの国境に近いし、物価はドイツよりひくいのでドイツの日帰り訪問者に応じる店などが多い。
特にベトナム人が営業する Asia-Markt(アジア市場)が多くて、そこにはユーロとチェコのお金で
アルコールやタバコ、偽物のDVD、安っぽい洋服などのものが売られている。
それに加えて、駅の左のほうには大きいドイツのスーパーもある。残念ながら、この町は水商売で
”有名”になった。特にヘプへの道路沿いには売春婦がたくさん並んで、その内子供さえいる。
この酷い状況はばるべく早く改善されていると望んでいる。
名所:
全ての名所は旧市街に密集して、ちょうど真中にある
náměstí krále Jiřího z Poděbrad
(ポデブラド城のゲオルク王広場)の周辺にある。この広場は長くて、坂がある。北端には
二つの古くて、かなり傾いている民家の家屋群がある。真中には、ものすごく狭い道がある。
この家屋群(参照:上の写真)は Špalíček(シュパリーチェク)と
呼ばれ、「側屋」という意味だ。この民家は13世紀にゴシック様式で築かれ、16世紀以来ユダヤ人の商人
の住宅地になった。シュパリーチェクは現在まで完璧に保存されている。
家屋群を右側に通り過ぎると、ほとんど完全に民家に囲まれている教会の中庭に入る。真中には
kostel sv. Mikuláš (聖ミクラーシュ教会)が建ってある。
ゴシック様式の教会だが、二つの大きい塔はロマネスク様式なのだ。最古の部分は13世紀のものだ。
ちなみにその隣には町の博物館がある。
中央広場の家屋群から左へ進むと、川の上に睥睨するように聳えているロマネスク様式の
Chebský hrad(ヘプ城)が立ってある。真っ黒の塔がついているので
遠くからわかる。壕の上に掛かっている橋を渡ると、半分ぐらいが崩壊された要塞の中に入ることができる。
中には、中世期の様々な大砲や12世紀の祈祷室の址などの史跡、そして色々な博物館がある。
タール付け黒い塔は1222年に作られ、上ることができる。塔から町全体を覗けるので、お勧めだ。
中庭に入っている博物館も見応えのあるものだ。一つの展覧会はこの地方に住んでいたドイツ人の
習慣と伝統を表して、ヴァレンシュタイン将帥の殺害現場だ。
お城の入場料は 40 kč (学生 20)。