|
|
|
私はモスタルを見学したとき、同時に恍惚と惴慄を感じた。しかし2001年には惴慄のほうが強かった。
そんなに華麗なトルコ風の旧市街は「ヨーロッパの真中」で期待すべくものではない。が、戦争による損害は
驚愕すべくものだった。ムスリム人の地区には弾丸の痕がない家があまり見えなかった。ミナレットが切断された
モスクが多かった。膨大な文化宮殿(外見だけでそういう感じがしたが、百貨店であった可能性もある)は遠くから見ると
大丈夫みたいだったが、近づくと建物の中は爆撃によって完全に崩壊されてしまった。
|
旧市街の中の崩壊された広場
|
南からモスタルに近づいたとき、焼き払われた村は凶事の予兆であった。爆破された家々を
通じながらペンションを探して、そして戦線のほうも歩いた。天気が良くていい一日になるはずだったが、
この風景を見ると鬱々になる。さて古いモスタルの残は何だろう。中心の南方に350年前ぐらい
作られたトルコの家というところがある。
その主人はとても優しい人で、熱心にその博物館のような建物を説明する。ちゃんと決まった料金がなくて、
適当にお金をあげるという制度だ。崩壊された町を見た後にこんなに優しい人と会うのはいい感じだ。
|
モスタルの戦線:この家には相変わらず家族が住んでいる
|
上述の Stari Most(古い橋)は1566年に建築され、狭いアーチ橋だ。この橋梁は明らかにトルコ人の建築家に
計画された。この橋は400年間以上様々な戦争などを生き残ったが、1993年11月にはクロアチア側からの臼砲による
攻撃は町を崩壊した。今では、お土産の店は破壊の写真が載っているシャツなどを売る。2004年7月の架橋は
町の戦争の傷跡の一つを治したが、見える痕も見えない痕も十分残っている。ちなみにその古い橋の近くにはもっと古い
橋があったが、その橋は1999年に洪水によって崩壊され、本当に運が悪いと言ってもよいだろう。
モスタルを見学するとき、Kujundžiluk(クユンドジルク)という旧市街を歩き回るのは一番面白い。
円頭石舗装の狭い横町や石造の家、モスクなどは素晴らしくて中欧で珍しい眺めだ。歴史に興味があってもなくても ―
モスタルは見応えのある町だ。
|