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Mostar

一般的な情報

モスタルのロケーション
  • 地名: Mostar(モスタル)。その言葉の中にはスラブ語の言葉 「most」 が入っている。その意味は「橋」だ。「-ar」という 語尾をつけると、橋の番人になる。その地名は中心にある16世紀に建築され、戦争に崩壊され、 そして2004年に再建された古い橋に由来している。
  • 位置: モスタルはボスニアの首都→サラエボから南へ約100キロ離れている。アドリア海の 海岸は50キロだけ離れている。モスタルは Hercegovina(ヘルツェゴヴィナ)という歴史的な地方の 中心にある。町自体は北から南へ流れている水が透明な Neretva(ネレトバ)小川に貫流されている。 モスタルは高い山に囲まれ、東方には標高1,967メートルの Botin(ボティン)山が 聳えている。西方にも山が多くて、だいたい禿山なので嶮しい景色だといえる。
  • 人口: 約13万人。要するにモスタルはヘルツェゴヴィナの第一の都市で、 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの6番目に大きい町だ。しかしそれは郊外と近い小町を含めている。町自体の 人口はそれの半分だけだ。戦前、クロアチア人、ボスニア人とセルビア人の割合はほとんど同じだったが、 今ではセルビア人が町に住んでいない。

  • ムスリムの旧市街
    ムスリムの旧市街

  • 町の姿: ご注意:全ての情報は2001年現在。その間、色々なことが変更した可能性が高い。
    特に狭くて深い Neretva(ネレトバ)川とその支流の川谷はモスタルの中心の特色ある相貌をつくりあげている。 町全体は盆地に広がっているが、南方だけには小さい平原があるのでモスタルの新市街はだいたい南にある。 ネレトバ川の左岸(東方)はムスリム人の地区で、トルコの影響を受けた。狭い横町やモスクなどが多くて本当にトルコにいる気がする。 その地区のメイン・ロードは ul. Maršala Tita(チトー将帥通り)と呼ばれて、町を南から北へ横断する。 北端にはモスタルのバス・ターミナルがある。
    ネレトバ川とその支流の間にある狭い地区、そして西岸沿いの狭い地域は東岸と同じくムスリム人の地区だ。 それ以外は西岸はクロアチア人の地区だ。ボスニア戦争の戦線は特に ul. Aleske Šantiać(シャンティアッチュ通り)と Blvd. Hrvatskih Branitelja(ブラニテリャ大通り)沿いだった。 その通りに並んでいる建物は完全に崩壊されたので戦線は分かりやすい。ムスリム人の地区にも戦争による損害が 多い。一般的にいうと、クロアチア人の地区のほうが近代的だ。南西には、クロアチア人が山の上に膨大な十字架を作った。 それに加えて、西岸には新しくて、塔がモスクのミナレットより高い教会が建築された。
  • モスタルの有名な橋の崩壊された袂
    モスタルの有名な橋の崩壊された袂


  • 歴史: モスタルは多分15世紀に創立され、すぐその地方の大切な商業の町に発展した。 ヘルツェゴヴィナはそのときオスマン帝国の属州であった。しかしモスタルは 国際的に大切になることがなかった。その代わりに、モスタルにはオスマン帝国による支配の 足跡は最高に保存されたといえる。オスマン帝国からの解放の後、モスタルの歴史は ボスニアの歴史と同じようになった。1878年、モスタルはハプスブルク家の領域になって、 そして1918年以来セルビア・クロアチア・スロベニア人の帝国いわゆるユーゴスラビアの 町になった。
    1992年にボスニアが独立を宣言して在ボスニアのセルビア人は JNA(ユーゴスラビアの人民軍)の 応援を受けてボスニアの大部分を早速と占領した。モスタルの周辺にも戦争が勃発したが、 クロアチア人とムスリム人が協力してセルビア人をモスタルから追い払った。しかしクロアチア人は その後自分の計画を立てて Republik Herceg-Bosna(ヘルツェグ・ボスナ共和国)を 創設してその領域を→クロアチアと統一することを要求した。 モスタルはその共和国の首都になるはずだった。 そのため、1993年には先の同盟者の間には残酷な戦争が 勃発して、ムスリム人の地区は激しい攻撃を受けた。モスタルの悲劇は結局旧市街の Stari Most(古橋)の崩壊という最高点に達した。誰かが橋梁の崩壊をビデオカメラ で撮ったので、その画像はモスタルの無益な戦争のシンボルになった。
    外国から圧力を受けたクロアチア側は1994年に再びムスリム側と協力して市街戦が終わった。それ以来、 町はクロアチア人の地区とボスニアク人(それの大部分はイスラム教)の地区に分かれている。 国境のようなものがないが、戦線は境になったのでわかりやすい。その堺は誰でも勝手に通過することができる ものだが、市民たちはそれをあまりしない。戦争は町全体に酷い傷跡を与えた。しかし明るい希望もある。 2004年7月、数年間かかった古橋の再建は募金運動のおかげで終了され、立派な開通式が行われた。 橋の再建は正常化のシンボルになると望んでいる。しかし現在には「誰が一番大きい神殿を作るか」みたいな コンテストが行われ、あまりいいサインではない。


  • 往路: モスタルの駅は旧市街からやや離れているが、一つの鉄道線しかないのであまり使えない。その列車は →サラエボからアドリア海の Ploče (プロチェ)まで走る。しかしその列車が まだ走るか否かわからない。列車よりバスのほうが便利だ。一日中数本の →Dubrovnik(ドブロヴニク)→Split(スプリット)→サラエボなど行きバスがある。サラエボまでの所要時間は2時間ぐらいで、 運賃は11KM(700円)だ。


  • 見所

    私はモスタルを見学したとき、同時に恍惚と惴慄を感じた。しかし2001年には惴慄のほうが強かった。 そんなに華麗なトルコ風の旧市街は「ヨーロッパの真中」で期待すべくものではない。が、戦争による損害は 驚愕すべくものだった。ムスリム人の地区には弾丸の痕がない家があまり見えなかった。ミナレットが切断された モスクが多かった。膨大な文化宮殿(外見だけでそういう感じがしたが、百貨店であった可能性もある)は遠くから見ると 大丈夫みたいだったが、近づくと建物の中は爆撃によって完全に崩壊されてしまった。

    旧市街の中の崩壊された広場
    旧市街の中の崩壊された広場

    南からモスタルに近づいたとき、焼き払われた村は凶事の予兆であった。爆破された家々を 通じながらペンションを探して、そして戦線のほうも歩いた。天気が良くていい一日になるはずだったが、 この風景を見ると鬱々になる。さて古いモスタルの残は何だろう。中心の南方に350年前ぐらい 作られたトルコの家というところがある。 その主人はとても優しい人で、熱心にその博物館のような建物を説明する。ちゃんと決まった料金がなくて、 適当にお金をあげるという制度だ。崩壊された町を見た後にこんなに優しい人と会うのはいい感じだ。

    モスタルの戦線:この家には相変わらず家族が住んでいる
    モスタルの戦線:この家には相変わらず家族が住んでいる

    上述の Stari Most(古い橋)は1566年に建築され、狭いアーチ橋だ。この橋梁は明らかにトルコ人の建築家に 計画された。この橋は400年間以上様々な戦争などを生き残ったが、1993年11月にはクロアチア側からの臼砲による 攻撃は町を崩壊した。今では、お土産の店は破壊の写真が載っているシャツなどを売る。2004年7月の架橋は 町の戦争の傷跡の一つを治したが、見える痕も見えない痕も十分残っている。ちなみにその古い橋の近くにはもっと古い 橋があったが、その橋は1999年に洪水によって崩壊され、本当に運が悪いと言ってもよいだろう。
    モスタルを見学するとき、Kujundžiluk(クユンドジルク)という旧市街を歩き回るのは一番面白い。 円頭石舗装の狭い横町や石造の家、モスクなどは素晴らしくて中欧で珍しい眺めだ。歴史に興味があってもなくても ―  モスタルは見応えのある町だ。


    周辺

    周辺はハイキングの天国であるらしいが、崩壊された村や地雷原などが多いので止めたほうが良いかもしれない。 モスタルから南へ約25キロ離れている場所には Međugorje(メジュゴリェ) という村がある。1981年、6人の少年たちが聖母の公現を見た。それ以来、メジュゴリェは有名な 巡礼地になった。元々小さい村には現在に17,000人が泊まれる。


    宿泊

    バス・ターミナルに向かい合っているところには Pansion Sator というペンションがある。 サインがないので分かりにくいが、バス・ターミナルの前の道路を渡った後に少しだけ左へ行くとすぐ右側の緑の建物 の二階にある。経営している家族は本当に面白くて優しい。雰囲気はとてもよくてホテルよりいい。 ダブルは50KM(3200円)かかる。住所: ul. Maršala Tita 40.


    リンク集

  • www.mostar.ba
  • モスタルの公式のページ。しかし、ボスニア語とクロアチア語版しかない。
  • www.japan-net.ne.jp/~kawasima/touou/minka
  • モスタルのトルク人の家についての短いページ。日本語。
  • eeoml.fc2web.com/WorldTravel/2003Croatia
  • モスタルからの個人の旅行記。日本語。

    モスタルについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか? その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。 商業上のホームページはお断りです。 メールのリンクは左側のメニューに入っています。


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