オシエクの近代的な中心の真ん中には三角の Trg Ante Starčevića(シュタルチェヴィッチャ広場)があり、
両方のトラム線の交差点である。広場に面しているところには zupna crkva sv. Petra i Pavla (聖ピーターとポール教区教会)
が立っている。その教会は1898年ごろ作られ、高さばかりだけではなくて、赤い色のためにもすぐ目立っている。
北方にある Zimska Luka(ヨットの港)と幅が広いドラウ川は中心から数十メートルだけ離れている。
沿岸の歩行者専用通りとそれに接する大きいコンクリートのビルはあまりきれいではないが、それでも散歩しやすいところだ。
その通りをたどってドラウ川を遡ると、右側にはまず大きい公園、そして二番目のドラウ川を架渡している橋の前に
Tvrđa(城町)という旧市街がある。そこには新しい建物があまりない。
旧市街の真中には Trg svetog trojstva(聖三位広場)があり、その広場には同名の円柱が
立っている。それ以外はオシエクにはスラヴォニア博物館や様々な青年派様式の建物がある。一般的にいうと、
オシエクは非常に面白い場所であるとあまりいえないが、海岸沿いの→Dubrovnik(ドブロヴニク)または
→Split(スプリット)との対照は著しい。クロアチアは沿岸の町限りではなくて、このオシエクなどの
ところも含んでいる。
東スラヴォニアは1991〜5年の独立戦争のときに激しい闘いの戦場になってしまって、民族浄化も行われた。
オシエク自体はクライナのセルビア人と JNA(ユーゴ人民軍)に占領されなかったが、よく砲撃された。同時に沢山の
セルビア人が亡命して、色々なセルビア人は解明されていない殺人事件の犠牲者になった。中心には戦争の痕がないが、
郊外は損害を受けた。