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+++ご注意:この旅行記は2001年のものなので、旅行記@・Aの前に書かれた。情報は2001年現在+++
ハレ → ミュンヘン → ザグレブ
Halle→München→Zagreb
旧ユーゴへ!様々な中近東やアジア、西欧などへの旅行の後、久しぶりにバルカン半島への旅行
を計画した。旧ユーゴスラビアの諸国は目的地だ。1989年前、旧東ドイツの人民としてユーゴスラビアへ行くのは
禁止された。再統一のおかげで行けるようになったが、色々な狂ったユーゴスラビア人は脆くて強制的に組み立てた
ユーゴスラビアを喧噪を極めて解体することを決めたから、旧ユーゴへ行くのはあまりお勧めじゃなかった。
飛行機は便利だが、列車だけで本当に移動したという感じがするので、できる限り列車で行きたいと思った。
しかし2週間半しかなかったから、クロアチア・チケットという割引券にした。それは往復二人で250ユーロ位だったけど、
それでハレ市から簡単にスプリットという町へいけた。残念ながら行くルートは帰るルートと同じだという条件あるけど、
途中で降りたり乗ったりするもできる。私たちのスプリットからのルートは全く分からなかった。まずスプリットへ、その後は
フリースタイル。
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ザグレブの聖シュテファン大聖堂
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ある日の真夜中の後、まずミュンヘン行き夜行に乗った。その夜行は思ったよりよかった。ベッドがないが、席は
広くてとても便利だから眠ることもできる。そのおかげで時間が経つのは早くてミュンヘンに朝7時前着いた。
そこには30分ぐらいの乗り換え時間しかなかった。続いて、EC という急行でオーストリアのアルプス山脈を越えて
ザグレブ方面へ進んだ。天気はよくて景色は綺麗すぎたから睡眠不足を取り戻せなかった。ヴィラッハというオーストリアの
町で列車が分裂されて、スロヴェニアの国境に近づいた。長いトンネルを通過した後、スロヴェニアを入国した。
お初の旧ユーゴだ。
イエセニツェという国境の町に列車はかなり長く泊まった後、運転を続いた。列車は川沿いの深い谷をたどって、
ドイツのドレスデンの周辺の景色に似ている。しかしこの辺は石灰ばかりだ。村々や通り、鉄道駅などは少し東ドイツ
のようだ。午後2時ごろ、リュブリャナに到着した。この町も見学したかったが、それは旅行の最後の目的地になると
決めた。続いてまた綺麗な景色を横断して、いつかクロアチアの国旗がみえた。えっ、もう国境を越えた?
すぐ後やっとザグレブに着いた。次に荷物をコインロッカーに入れて町を観光しようとした。駅の構内はお粗末、
駅前の広場はとてもよかった。ザグレブは観光客があまりいない雰囲気はとてもよい場所だ。暗くなるまで、数時間町を
歩いてできるだけいっぱい見学した。夕闇に駅に戻った。そこには、様々なジプシーの子供たちは『タバコチョーダイ!』と
言った。私たちの列車は23時前出発するはずだった。車室には年をとったクロアチア人が座ってタバコを吸った。
『ここは禁煙だよ』と身振り手振りで説明した。別にいいけど、この車室に寝るはずだから煙は要らない。
言葉はあまり通じなかったけど、それでも仲良くなった。一緒にビールを飲んで、車掌とも色々を話した。今まで優しい人
ばかりに遇ったから最初の印象はとてもよかった。
旅人のページ内の関係あるリンク:
→クロアチア |
→ザグレブ
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